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千葉県我孫子市で67年 木綿ワタでふとんを作っています。

〒270-1152千葉県我孫子市寿2-2-14     TEL.04-7182-0810
メール wata.huton@gmail.com 
メールには必ず返信しています。一日過ぎても返信が無い場合はお電話下さい。

綿とふとんの歴史の周辺パート2

パート1より続く


   江戸の家計簿   磯田道史   宝島社新書
p141  
衣服用 河内木綿
1反 銀3〜6匁  約3150円〜6400円
木綿の小袖を着流しにしたもの

  河井寛次郎      現代日本のエッセイ    講談社文芸文庫




p130
模様の国紺屋の仕事
その頃の町では何処の家でもてばたを持たない家はなかった。だからふだん着という平常着はみな手織りに限られていたくらいであった。色々な紺や縞物が何処の家でも織られていた。紺やといえばそういう糸を染めてくれる処であったが、ここはまた大まかな模様の付けられた夜具地とか、風呂敷類とか、出産祝いの湯上げとか、屋号入りののれんなどを注文で染めてもくれた。この町にもそういう紺屋が何軒かあった。

p254
点描記   河井須也子
リーチ(バーナード・リーチ)さんの夜具は普通寸法では間に合わず、母は娘時代の振袖の納戸色綸子や羽二重の着物を解き、丸髷に姉さんかぶりをして綿を入れ、リーチさんの身長に合せ細長くつくられたので、私は面白がって「八つ橋のおふとん」と名づけ、はしゃいでいた。

板谷波山    波山先生記念会  常陽芸文 平成10年12月


p11 木綿で栄えた江戸時代の下館
下館は江戸時代…全国有数の綿花の産地、…さらし木綿が生産されていた。…近隣の真岡木綿が名高いが、…下館に真岡の地名があり、…木綿問屋も真岡市に2軒、下館には7軒。
鬼怒川の水運を利用して江戸に送られた。最盛期には100万反に及んだ。板谷家の本家も木綿問屋で下館有数の商家であった。

波山記念館見学のつもりが下館の木綿商いの歴史を垣間見た。立派な下館美術館がある。波山の記念館がある。
町を散策すると蔵造りの大きな商家が目に付き素晴らしい。
記念館の係の方に聞けば下館は木綿の商いで財を成したとの事。
上記の記事もあり。木綿関連情報の思わぬ収穫があった。


    東京の下町   吉村昭  文春文庫
p64
私の家の前の道をへだてて、父の製綿工場があった。寝具や丹前の中に入れる綿を製造していたのである。さらに父は日暮里駅から田端駅方向の地に綿糸紡績工場も持ち、長兄に管理させていた。・・・・
それらの工場で仕入れる原綿の輸入問屋の番頭さんたちが家に集まってくる。・・・彼らは、新聞紙で筒状に来るんである原綿見本を広げ、大きな算盤をはじき、・・・・父に見せる。

吉村昭さんは業界では良く知られた問屋『吉村屋』さんの出身。
ワタに付いての講演記録などが当家出入りの問屋さんからいただいた事がある。珍しい綿屋さんの家庭・下町の話が興味を引いた。

     河井寛次郎・棟方志功       新学社







p79 織ったのはだれであったろう
 この町(島根県の)でも売品にはしなかったが、大抵の家では織機を据えて織っていた。庫の戸前傍らや、物きの窓の下や、…母親たちは暇を見付けては筬(おさ)をたたいていた。…母親達は、こここそ掛けがへのない一番安穏な場所であり、最上の時であったのに相違なく、他人はもとより、自分自身にさへ煩わされる事なく、その自分さえ消し飛んでしまう場所であったに相違なかった。
p81
 当時この町では、縦縞の中に絣を入れたものが織られて、夜具地に沢山使われていた。何処の家にもいろいろなガラの掛け蒲団や蒲団や座蒲団が使われていた。・・・・
p47
 どんな仕事場でも街道に向かってあけはなたれていたので、子供たちは見るものが多かった。菓子屋、こんにゃく屋、麩屋、豆腐屋、湯葉屋、紺屋、鍛冶屋、建具屋、白銀屋、轆轤屋、提灯屋、八百屋・・・小さい町ではあったが、一通りの入用のものは、皆町で作られたから仕事の種類は多かった。…
油屋の店の太い角格子の中には椿の実や綿の種や、大豆などを絞る大きな欅(けやき)で組み立てられた頑丈な装置があった。
 省略するにはおしい文章が続く。江戸時代から戦前まで続く織物の話が美しい。着るものからふとんの生地まで自給自足されていた、油屋の店先に綿の種があった事の文章を初見した。
ここでも並べられたいろいろの店舗にふとん屋は無い。
ふとんは自家製が当たり前だった事がわかる。

   朝鮮紀行 イザベラ・バード   講談社学術文庫


p37朝鮮の第一印象
朝鮮人の外国製品の好きには驚かされる。…
冬には綿入れもめんの衣服を着るという保守性は外国産のウール地に屈さず、ウール地の輸入は文字どおりゼロである。
p108
農民の住居は…壁は土で同じく土でできた床は何本もの煙道で暖める。これは暖房の中でもいちばん経済的な方法で、十歳の男の子が運べる程度の枯れ葉や枯れ草で二つの部屋を十二時間21℃の暖かさに保つ事が出来る。…床にはむしろを敷き、堅い木のまくらがあって、・・・。
p136
勾配の大きい山腹は灌木や石を取り除いて綿花をうえるが、1,000フィートの高さまで栽培している例が多くみられる。

同じ作者の日本紀行は期待したふとんの事が記述されていたが残念ながらこの作品は政治的な記述が多い。
ふとん文化(言ってよいかわからないが)は日本独自のものと言ってよいかもしれない。
ただ日清戦争ごろの歴史の記述は新鮮。