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千葉県我孫子市で67年 木綿ワタでふとんを作っています。

〒270-1152千葉県我孫子市寿2-2-14     TEL.04-7182-0810
メール wata.huton@gmail.com 
メールには必ず返信しています。一日過ぎても返信が無い場合はお電話下さい。

日本のふとんの歴史

 はじめに

 簡単な寝具の歴史のページを作ろうとはじめたのですが、すぐに壁にぶつかってしまいました。資料が無い、編年体に出来ない・・・・・。いつまでたっても出来上がらず、嫌気がさしてきた頃、中学時代の恩師が時代考証の資料を送ってくれました。これでやっと弾みがつきました。まずワタの歴史と寝具(ふとん)の歴史をを分ける事にしました。寝具は資料の断片を並べるだけのものにすることにしました。
これでも充分寝具の過去を語れるかもしれないと、思えるようになったからです。そもそもワタは衣類として利用する事が目的で、寝具にすることは極めてまれな事だったことが、わかってきました。ワタの重要性、有用性を知れば知るほど、寝具(ふとん)が庶民の物になるのに長い時間とお金がかかったかを思い知る事になりました。
 ワタや寝具の歴史を知れば知るほど、商いをするうえで何が大切かわかってきたように思います。これからも得られた情報をその都度、かきたす事にしたいと思いますので、お気づきの事がありましたら教えてください。

参考資料 ・NHKお江戸でござる
     『時代風俗考証事典』林美一著より夜着と蒲団   
     タイトルバックの写真は大叔母の明治時代のふとん 

  中世の農民
農民の家屋は大部分は極めて粗末なわらぶきに荒壁の小屋である。中は狭くてきたない。そしてせいぜい二間か三間に仕切られた程度で、それも土間である。すすけたかまどと鍋や椀、それに犂・鍬・鎌などがあるが、家財道具らしいものはほとんどない。農民は煙突もない小屋で火をたき、食事をし、夜になれば藁にもぐって寝て、朝、日の出とともに起きて働く。
  日本の歴史  中央公論
  8 蒙古襲来 黒田利雄
  P261より抜き書き
  貴族は畳の上で寝ていた。

一遍上人絵伝の中にある一こま、畳を運んで臥所(ふしど)の用意をする僧。縁の下には菰(こも)を巻いた者と着ていた物を掛けた乞食がねている。 庶民はこの程度で寝ていたのだろう。
13世紀の様子。   

  着ていた物をかけて寝た。

 掛けるふとんが出現するまで、昼に着ていた物をかけて寝ていた、その時代が長く続いた。また裸で寝るのが一般的だった。右の絵はかなり裕福な人の様子。

 

  夜着(よぎ)は鎌倉武士から 

 鎌倉武士が宿直(とのい)・・・夜、寝ずの番をすること・・・する時、防寒用として平常服の直垂(ひたたれ)に綿を入れ作った、直垂衾(ひたたれふすま)が原型         

 

 

  桃山時代17世紀の胴服どうふく
表裏絹、綿入の袷仕立(あわせしたて)の胴服 国立博物館のHPのなかで見つけた、裏と表の布の間に綿(綿は絹の真綿であろう)を入れたもの。丈121cm・裄(ゆき)63cm、左脇に刀差明がある。昼間着ていた物のようだ。

NHKの番組お江戸でござるのふとん屋店先

江戸時代にふとん屋が在ったのか資料を探していた時、偶然TVで見たので録画した。左に夜着がつるしてある、中央に赤い裏地の敷きふとん、後ろの棚には上から反物、2段目に箱まくら、ふとんの上にまくらがある。

ふとんと言えば敷ふとんの事 

 江戸時代ではふとんと言えば敷ふとんの事を意味した。掛けふとんにあたる物は衾(ふすま)ないしは夜着(よぎ)であった。この区別ははっきりしたもので混同される事はなかった。現在のような形の掛けふとんは江戸時代も相当後半である。

実際にこのような店舗・店があったかはわからない.
意識して捜しているが絵巻や文章には見当たらない。

夜着は江戸時代に普及

  夜着(かいまき)は江戸時代に普及しました しかし関西では衾(四角い掛け具)⇒夜着⇒現在の掛け布団と変化してしまいました。
したがって関西の人は夜着(かいまき)を見るとびっくりしてしまうそうです。

 関東以北は現在も夜着は使われています。

この話を九州出身の方にしたところ、
まだ九州でも使われていることがわかりました


上の図はお江戸でござる・杉浦日向子・新潮社より
 湯上りのどてらに抱いて子をあやす亭主 
 冬はコタツが大活躍
こたつは日本人の発明と言われている。
江戸時代には綿入れのこたつ布団が全国的に広まっていたようだ。
庶民宅や宿などでも暖房用として活用された。
左の図は鈴木晴信の浮世絵から
PS.
畳を掘り下げた、『掘り炬燵』はなんと我孫子にゆかりのある『バーナードリーチ』が最初に試した事が知られている。
     

花魁(
おいらん)にプレゼントされたふとん

  なんと3枚で100両以上した。ふとんは庶民にとってなかなか手に出来ないものだったことがわかる。貴重なので泥棒にねらわれた、又婚礼ふとんなどはかなり裕福な家庭のものだけだった。ワタを自分で栽培できる者は何年もためて作ることができたであろうが、買うとなると、大変だったことは想像ができる。ワタのほとんどは糸・布に加工されていました。
三枚敷きは吉原だけの使い方。
この浮世絵も吉原の風景、掛けふとんは今のように長方形ではなく、袖のあるかいまきふとんである事がわかる。

 英国人写真家の見た明治日本        
 ハーバート・G・ポンティング   
 
この本の中に就寝の様子を撮った写真を見つけました。 今と基本的に変わらない寝具の様子がわかります。  えりを付け汚れ無いようにしています。かなり重そうな掛け布団です。枕は箱枕です。

秋田県角館の民族資料館の展示品

 寒冷地なので、たっぷりワタの入ったかいまきのふとん。生地は正絹のようです。右の物は木綿のようです。良く管理され残った物です、ふとんが残っているのはめずらしいことです。  
写真の提供者・友人の上村さんに感謝。

 
ついに見た、これが敷き布団の原形か

NHK、ひるブラで新潟県村上市の越後上布の放送をしていました。
伝統的な製品の説明の最後に麻の生地にわらを入れた布団が登場しました。思わずTVにデジカメを向けパチリ。
『少し前までこうして布団として利用していました。快適です。』寝ている男性がこんな話をしました。
寝ている下のふとんがそれです。
 ずーと捜していた情報にめぐり会いました。
ワタが庶民に行きわたるまではこんな利用がされていたに違いありません、麻なら丈夫なので中身がわらでも大丈夫。



稲ワラで出来たマットレス
 昭和50年創立の小学校の保健室の古いふとんを直す注文を受けました。そこで稲ワラで出来たマットレスを見つけてしまいました。
稲ワラはふとんの材料として利用できるとわかっていましたが、驚きと同時に感激です。吸湿性や保温性を考えれば寝具の材料として良いもの。柳田国男も『わらを材料に改善や改良を加えられなかったのは残念な事』と書いています。
なんとその工夫の跡に遭遇したわけです。一般の家庭では目にすることができなかった物が学校という特殊な環境に残っていました。修理できれば使いたいところですが、処分するしか無く、ちょっと残念です。